フォルトゥナタ(38)

 小さな灯り皿が、オレンジ色の光をゆらゆら零している。
 「ねえ、キョーコ」
 クオンティヌスはそっと呼びかけて、やわらかく熱を帯びる耳朶を甘噛みした。壁に映る彼の影は奇妙に拡大され変形して、薄暗い室内の空気まで歪めるように揺れる。
 低い囁き声が、返事も待たずに続いた。
 「君のパンも、焼く前はこんな感触なのかな?」
 確かに、耳たぶのやわらかさにこねる、などと言う。騎士の妙に庶民的な知識は、食通にして恐るべき大食漢である父から聞いたのでもあろうか。
 「…っ…パン種入り、のは、そうだと、思います…っ」
 対してパン職人は律儀に答える。声が泣きそうに震えるのが愛しくて、クオンティヌスは何度も頬をすり寄せた。
 「じゃあこれが、あんなにふかふかになるんだね」
 唇で耳に触れると、キョーコがきゅっと肩を縮める。
 「耳がじゃありませんっ~」
 やっぱり律儀にツッコミを入れるので、クオンティヌスはくすくす笑ってなめらかな首筋に鼻先を埋めた。
 「じゃあ、どこが?」
 手を胸元に這わせれば、キョーコはひくりと息を詰めて顔を背ける。
 「だっ…だからっ…パンの、お話でしょう…!?」
 言ってから彼女は、一瞬視線を宙にさまよわせる。ちがう、と口の中で呟くのをクオンティヌスは敢えて聞き流し、掌におさめた可愛らしい膨らみをそっと押し上げた。
 「あ」
 「パンより、今は君を食べたいな」
 吐息でなぞれば、白い白い肌に細かな震えが走る。寛げさせたストラの胸元をまさぐりながら、騎士は自分のトゥニカを毟り取るように脱ぎ捨てた。肌が触れ合った瞬間、キョーコがその腕に手をかける。
 「やっ…だめ、クオンティヌス様、ずるい…」
 「どうして」
 「だって、まだ、お話の途中で…!ちゃんと、聞いてくださいっ」
 「聞いたよ」
 一生懸命に言う鼻先に口付け、クオンティヌスは妻の瞳を覗き込んだ。
 「君たちの情報も気遣いも貴重だし、有難い。この先、身辺には充分気をつけるって約束した。今はね、それ以上のことはできないだろう?」
 「そんな簡単に!」
 「簡単じゃないよ」
 彼はきっぱりと言い切って、ぱっと見返して来る大きな瞳に意思的な微笑を送る。息を呑むキョーコの頬を片手で包み、そっとそうっと唇を吸った。
 「やっと君を手に入れたのに、早々に死ぬ気なんてない」
 娘が目を見開いたまま固まった。その頬、いや全身に侵食する朱。
 「なっ、何を、貴方は…」
 「それが俺にとって、生き抜くための最も強い動機…君こそが俺の運命なんだ」
 キョーコは絶句したまま小さくかぶりを振る。それへもう一度口付け、クオンティヌスは年若い妻の細い体を強く抱きしめた。
 「君がいてくれれば、俺は絶対に大丈夫。だけど、なしじゃもう生きて行けない」
 「クオンティヌス、様…」
 「だから、ねキョーコ。君の方こそ、無事でいて。体に気をつけて、事故も病気もなく、俺が戻って来た時には元気に出迎えて欲しい。約束、してくれるかい?」
 尋ねれば、白い腕が彼の首に巻きつく。胸元で、小さな吐息が言った。
 やっぱり、貴方はずるいです。




 
 
 

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