フォルトゥナタ(39)

 がろがろがろ…
 遠雷に似た音が次第に近づいて来る。そっと寝台を降りようとする背を、溜め息に近い声が追った。
 「ん…キョーコ?」
 「すみません、起こしてしまいましたか」
 眉尻を下げながら振り返ると、もそもそ身を起こしたクオンティヌスが軽くかぶりを振る。
 「いや、車の音で先に目が覚めたんだ。今日は仕入れの日なんだね」
 「すみません」
 市内は日中の車の通行を禁じられている。ために輸送の類も夜間に行われることが多く、石畳の暗路に響く車輪の音はローマの名物もしくは公害となっていた。
 「君が謝ることはないよ」
 金の髪の騎士はすこし笑って、自分のせいで安眠を妨害したかと気にする妻の頬を撫でた。
 「行っておいで。もし何かあったら、大声で呼ぶんだよ。すぐに駆けつけるから」
 「いつものお仕事ですし、大丈夫ですよ」
 優しい微笑に添えられた一言に、キョーコはほんのり頬を染めた。キョーコが自分の仕事にクオンティヌスを関わらせることを好まない、と彼は知っている。だから付き添うとまでは言わないが、それでも心配は残るのだろう、出過ぎない範囲で気遣ってくれることが嬉しい。
 「すぐに戻ります」
 僅かに迷ってから、彼女は夫の胸に身を寄せた。反射のように伸ばされる手をするりとかわして立ち上がる。
 「待ってるよ」
 苦笑しながらも優しい声を背に寝室を抜け出し、壁の灯皿から手燭に火をうつして暗い廊下に出た。温かな寝床と温かな体温から離れ、夜気が肌に沁みる。いつの間にか彼の懐に慣れてしまった自分に赤面しながら、キョーコはほてほてと勝手口へ向かった。





 「注文は、これで全部かい。いつもよか多めだね」
 松明をかざす先には、小麦の袋が積み上げられている。荷運びの車夫に、キョーコは愛想よく頷きかけた。
 「ええ、ありがとうございます。夜分にお疲れ様です」
 「なにね、慣れてるよ。夜しか車が使えねえんだから、しょうがねえやな」
 「大変ですねえ」
 「受け取る方だって一緒だろ」
 中年の車夫はあっさり笑って返し、それからふと頭の後ろに手を当てた。
 「あーけど、ここんとこ仕事が増えててちっとしんどいってのはあるかな…そら、例の、皇帝陛下の東征の影響でさ」
 「…ええ…」
 キョーコが複雑に声を落とす。自分が常より多く小麦を仕入れたのも、まさにそのせいだ。軍旅に就く夫と、その部下に持たせる堅パンを焼こうと。できるならば、クオンティヌスが陣中で食べるパンのすべてを焼いて持たせたいくらいだ。
 「そう言や」
 溜め息をつく思いの彼女の様子に何か感じたか、車夫はふと目の前の屋敷を見上げ、それとキョーコとを見比べた。
 「ここの旦那さんも行くんだよな」
 やや遠慮混じりに言うのへ、パン職人が黙って頷く。すると親爺は急に慌てたように空々しい笑い声を洩らした。
 「そりゃ心強いこった。天下のイリストゥリス様々のご出陣とあれば、もう勝ったようなもんじゃねえか。なんか物騒な雰囲気があるとかって話だが、そんなものはあのお人の剣が叩っ斬ってくれるだろうよ!」
 あはは、と笑う声を聞き流してキョーコが目を剥く。
 「物騒な、って」
 「あ?ああ…」
 中年男はしまったと言いたげにあさってへ視線を飛ばした。娘はそれを追って一歩踏み出す。
 「何か、そういう噂でもあるんですか?」
 重ねての追及に車夫は後ろ頭をがしかし掻いて、いやなアと呟いた。
 「だから、まあ、ただの噂だって。どこやらの隊、つうか貴族が剣士を集めてるだの、毒を仕入れただの、さ」
 「ど、く」
 キョーコは口先で繰り返した。
 「蛮族相手だから、向こうがそういうの使って来るのかもな。どっちが使うモンでも、いい感じはしねえが…」
 後半はもそもそと語り、車夫はまた後頭部を掻き回す。そこで、おっとと呟いた。
 「そろそろ次んとこ配達に行かねえと」
 「あ、はい…ありがとうございました」
 「クオンティヌスの旦那に、ご武運をつっといてくんな」
 車夫は荷車の轅を取り、ひょいひょいと頚木まで辿る。ひら、と手を振ると、そのまま歩き始めた。ガラガラと騒音が上がる。
 去っていく後ろ姿に、キョーコは機械的に頭を下げた。轍を辿る車輪が視界に入るが、彼女はそんなものを見てはいなかった。彼女の頭の中はいま、別のことに占められている。
 (毒…)
 もちろん、危険な言葉だ。しかし今の彼女は、それ以上に言い知れない不安を誘われる。そっと目を伏せると、彼女だけに向けられた熱情が脳裏に蘇った。
 (君こそが…)
 キョーコはきゅうと唇を結ぶ。彼は、どうして気付かないんだろう。彼女が彼にとっての運命なら、その逆もまた然りだと。
 何をしてだって護りたいのだと。
 「……」
 では、何ができるだろうか?
 キョーコは胸に溜めるように夜気を吸い込み、ゆっくりと顔を上げる。その瞳に、硬質な意思の光が瞬いた。








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