あみてぃえ・すゅいと
楽屋の前まで来ると、中から気配がした。絵梨花たちがまだ居残ってるんじゃないといいんだけど、と思いながらドアノブに手を伸ばす。
心の準備をしながらドアを開くと、まず話し声が耳に入った。
「どこ行っちゃったんだろうなあ…バスケットも空だし」
まずいわね、社さんだわ。敦賀さん、やっぱり予定より早く迎えに来たのね。
仕方ないと覚悟を決めて部屋に入る。振り返る二人の人物の視線を受け止めて、まず頭を下げた。
「すいません」
「琴南さん?」
社さんの慌てた声。私に駆け寄って起こしてくれるけど、顔を上げきらないままポケットから出した仔リスを差し出す。
「急に来客があってびっくりしたみたいで、この仔が開いてたドアから飛び出してしまったんです。それで探しに行って…不注意でした。申し訳ありません!」
「…ああ」
溜め息をついたのは敦賀さんだった。怒らせてしまったかと思わず見上げると、先輩はそんな様子もなく微笑んでいた。
「それなら、君のせいじゃないだろう。ちゃんと見つけてくれたんだし、気にしなくていいよ」
あんなにめろめろに可愛がってるペットなのに、この寛大さ。さすが温厚の評判も高い敦賀さんね。
私は安心と感心が一度にやって来て、強張った体が軽くなった気がした。
こつ、と靴音がして、先輩俳優が私の前にやって来る。
そこで、またしてもあのとろとろの微笑。
「待たせてごめんね?キョーコちゃん」
心配してたんだろうに、そんな様子は私には見せずに手を差し出すから、私は仔リスがそちらへ移りやすいように掌を傾けた。
なのに。
リスは前に進もうとしない。逆に後ずさりして、私の腕を駆け上って来た。
「きゃ!?」
思わず声を上げると、瞬く間に肩に辿り着いた小動物はそこで前肢を拡げて私に差し伸べる。まるでだっこをせがむ子供みたいで、本当ならそんなのは鬱陶しいはずなのに、何も考えずにキョーコが乗ってるのとは逆側の手を伸ばしていた。ふかふかの尻尾ごと撫でると、気持ちよさそうに低く鳴く。
かわいい…
自然に笑みが浮かんだ。
でもこの仔は、敦賀さんのペットなのよねえ。それも溺愛されてる。
些か残念に思いながら、そっと小さな体を掌に載せ直す。
「さ、ほらキョーコ。もう帰らないと。敦賀さんが待ってるから、ね」
言い聞かせると、仔リスは素直に頷く感じできゅ、と鳴いた。うちのミニ台風どもに見習わせたいくらいの聞き分けのよさだわ。
改めて感心しながら目の前に持って来たリスに見入ってしまう。そしたら、数歩前に出たキョーコは私の頬に小さな鼻先をくっつけた。
冷たい。
「もー、キョーコったら」
くすぐったくて、妙に嬉しくて、笑いながらリスを敦賀さんに差し出す。
すると…
何、かしら、これ。敦賀さん、微笑んでるのよね。微笑んでるんだけど、何かこう、光が突き刺さると言うか重痛いと言うか。変に圧倒的な空気を感じるわ。
まだ振り返って私を見てる仔リスに、“芸能界一いい男”とか呼ばれる先輩俳優はにこにこと手を伸ばす。
「キョーコちゃんは、琴南さんがとても気に入ったんだね」
ええと。“ちゃん”がやけに強調されてなかった?
「ずいぶんよくしてもらったみたいで、ありがとう琴南さん。また改めてお礼をさせてもらうよ」
「え。いえ、お礼なんて…私もこの仔のことは気に入りましたし」
「そう…ありがとう」
あら?また笑顔がパワーアップしたような…
「でもとにかく、お礼はさせて。じゃあ、また。本当にありがとう、助かったよ」
敦賀さんはやけに早口で言って、さくさくリスをバスケットに納めて自分の荷物と一緒に取り上げてマネージャーさんを促して…
あっと言う間に出て行った。
なん、だったのかしら急に。
残された私は、冷えていく掌の上の空気を惜しむみたいに見つめながら首を傾げるばかりだった。
―了―
リスの好意に関してはまったく度量の小さいトップ俳優氏(笑)。
心の準備をしながらドアを開くと、まず話し声が耳に入った。
「どこ行っちゃったんだろうなあ…バスケットも空だし」
まずいわね、社さんだわ。敦賀さん、やっぱり予定より早く迎えに来たのね。
仕方ないと覚悟を決めて部屋に入る。振り返る二人の人物の視線を受け止めて、まず頭を下げた。
「すいません」
「琴南さん?」
社さんの慌てた声。私に駆け寄って起こしてくれるけど、顔を上げきらないままポケットから出した仔リスを差し出す。
「急に来客があってびっくりしたみたいで、この仔が開いてたドアから飛び出してしまったんです。それで探しに行って…不注意でした。申し訳ありません!」
「…ああ」
溜め息をついたのは敦賀さんだった。怒らせてしまったかと思わず見上げると、先輩はそんな様子もなく微笑んでいた。
「それなら、君のせいじゃないだろう。ちゃんと見つけてくれたんだし、気にしなくていいよ」
あんなにめろめろに可愛がってるペットなのに、この寛大さ。さすが温厚の評判も高い敦賀さんね。
私は安心と感心が一度にやって来て、強張った体が軽くなった気がした。
こつ、と靴音がして、先輩俳優が私の前にやって来る。
そこで、またしてもあのとろとろの微笑。
「待たせてごめんね?キョーコちゃん」
心配してたんだろうに、そんな様子は私には見せずに手を差し出すから、私は仔リスがそちらへ移りやすいように掌を傾けた。
なのに。
リスは前に進もうとしない。逆に後ずさりして、私の腕を駆け上って来た。
「きゃ!?」
思わず声を上げると、瞬く間に肩に辿り着いた小動物はそこで前肢を拡げて私に差し伸べる。まるでだっこをせがむ子供みたいで、本当ならそんなのは鬱陶しいはずなのに、何も考えずにキョーコが乗ってるのとは逆側の手を伸ばしていた。ふかふかの尻尾ごと撫でると、気持ちよさそうに低く鳴く。
かわいい…
自然に笑みが浮かんだ。
でもこの仔は、敦賀さんのペットなのよねえ。それも溺愛されてる。
些か残念に思いながら、そっと小さな体を掌に載せ直す。
「さ、ほらキョーコ。もう帰らないと。敦賀さんが待ってるから、ね」
言い聞かせると、仔リスは素直に頷く感じできゅ、と鳴いた。うちのミニ台風どもに見習わせたいくらいの聞き分けのよさだわ。
改めて感心しながら目の前に持って来たリスに見入ってしまう。そしたら、数歩前に出たキョーコは私の頬に小さな鼻先をくっつけた。
冷たい。
「もー、キョーコったら」
くすぐったくて、妙に嬉しくて、笑いながらリスを敦賀さんに差し出す。
すると…
何、かしら、これ。敦賀さん、微笑んでるのよね。微笑んでるんだけど、何かこう、光が突き刺さると言うか重痛いと言うか。変に圧倒的な空気を感じるわ。
まだ振り返って私を見てる仔リスに、“芸能界一いい男”とか呼ばれる先輩俳優はにこにこと手を伸ばす。
「キョーコちゃんは、琴南さんがとても気に入ったんだね」
ええと。“ちゃん”がやけに強調されてなかった?
「ずいぶんよくしてもらったみたいで、ありがとう琴南さん。また改めてお礼をさせてもらうよ」
「え。いえ、お礼なんて…私もこの仔のことは気に入りましたし」
「そう…ありがとう」
あら?また笑顔がパワーアップしたような…
「でもとにかく、お礼はさせて。じゃあ、また。本当にありがとう、助かったよ」
敦賀さんはやけに早口で言って、さくさくリスをバスケットに納めて自分の荷物と一緒に取り上げてマネージャーさんを促して…
あっと言う間に出て行った。
なん、だったのかしら急に。
残された私は、冷えていく掌の上の空気を惜しむみたいに見つめながら首を傾げるばかりだった。
―了―
リスの好意に関してはまったく度量の小さいトップ俳優氏(笑)。
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